
沖縄の青い海と空の下、今日も多くの観光客が訪れ、その笑顔が街を彩っています。しかし、その賑わいの裏には、想像を絶する困難を乗り越え、新たな価値を創造しようと奮闘する人々の物語が存在します。今回ご紹介するのは、コロナ禍で長年愛された結婚式場を閉館に追い込まれながらも、その窮地を「チャンス」と捉え、革新的なレンタカー事業で沖縄観光の未来を切り開く一人の経営者、中田裕一郎さんの物語です。
プロローグ:光を失った聖地「サムシング・フォー西崎」の閉館 💔
かつて、この場所には数えきれないほどのカップルの愛と誓いが交わされる場所がありました。1996年の開館以来、多くの夫婦が新たな人生の門出を祝ってきた結婚式場「サムシング・フォー西崎」。その名前を聞けば、沖縄で結婚式を挙げた人々にとっては、きっと特別な思い出が蘇ることでしょう。
中田裕一郎さんは、その「サムシング・フォー西崎」の総支配人として、長年にわたり多くの披露宴を取り仕切ってきました。しかし、ウエディング業界はコロナ禍以前から、年々披露宴を挙げる人が少なくなり、招待客の人数も減少するなど、すでに苦境に立たされていました。そこに、世界中を襲った未曽有の災禍、新型コロナウイルス感染症が決定的な打撃を与えます。
「もういきなりゼロになるわけですよ。緊急事態宣言が発令されましたとかってなると」
中田さんの言葉からは、当時の絶望的な状況がひしひしと伝わってきます。婚礼予約は一夜にしてキャンセルされ、未来への希望が急速に失われていく中で、何とか政府の支援などを受けながら持ちこたえようと努力を重ねました。しかし、その努力もむなしく、状況は好転しませんでした。最終的に、運営会社は2021年に破産、そして「サムシング・フォー西崎」は閉館という苦渋の決断を下さざるを得なかったのです。
最後の披露宴での感動的なエピソード 👘
閉館直前、中田さんの心に深く刻まれたエピソードがあります。当時、わずか1組だけ披露宴を挙げてくれたカップルがいたのですが、その親戚が「かぎやで風」という伝統舞踊を踊ることに乗り気でなかったというのです。この沖縄の披露宴には欠かせない伝統の舞いを、どうにかして実現したいと考えた中田さんは、なんとスタッフ全員で着物を着て練習し、自ら舞いを披露しました。
これは、総支配人としてのプロ意識、そして何よりも、お客様への深い愛情がなければできないことでしょう。このエピソードは、中田さんがどれほどお客様の幸せを第一に考えていたかを示す、感動的な逸話です。
逆境からの閃き:街を走るレンタカーが指し示した新天地 🚗
失意の中、中田さんの目に止まったのが、コロナ禍にもかかわらず街中を走るレンタカーの姿でした。
「前職やってる間に那覇の方に結構行ったり来たりがあったんで」「コロナ禍だったけど、結構レンタカーの送り迎えが多いなぁっていうのは印象があったんですけど」「これレンタカーってちょっと数台、1台2台とかで片手間で始めたりできないのかなぁって思ったのがきっかけでしたね」
結婚式場の運営とは全く異なる分野への着想は、まさにコロナ禍という特殊な状況下で生まれたものでした。観光需要は一時的に大きく減少したものの、その後回復傾向にあり、レンタカーの利用も増加しています。
那覇空港周辺の深刻な課題 🚨
しかし、レンタカー台数の増加は、コロナ禍以前から存在していたある大きな問題を再び顕在化させていました。それは、那覇空港周辺におけるレンタカーの受け渡しに関する問題です。
りゅうぎん総合研究所の米須唯さんも懸念を示しているように、那覇空港の駐車禁止エリアでのレンタカーの受け渡しが後を絶たない状況が続いていました。空港内にとどまらず、周辺の公園や路肩に車を停めて受け渡しを行うといった行為も横行し、これが深刻な渋滞を引き起こし、沖縄の交通インフラに大きな負担をかけていたのです。
那覇空港でのレンタカー受け渡しは全面的に禁止されているにもかかわらず、ルールを守らない業者が後を絶ちません。警備員が定期的に巡回し注意を促しても、別の業者が次々と現れるため、まさに「いたちごっこ」の状態。この状況はもはや恒常的な問題となり、観光客の利便性を著しく損なうだけでなく、沖縄の玄関口としてのイメージダウンにもつながりかねない深刻な課題でした。
中田さんは、この問題を単なる業界の課題としてではなく、沖縄県全体の観光課題に直結するものだと深く認識していました。
「観光客の満足度の低下に直結してくる問題で」「レンタカー業界の課題は、沖縄県の観光課題にも直結してくる。しっかり向き合って、課題解決に動いていかないといけない」
顧客体験を革新する新サービス「ホワイトワンネットワーク」 ✨
中田さんが代表を務める「沖縄県の小さなレンタカー屋さん・ホワイトワンネットワーク」のサービスは、まさに観光客の「不便」を「快適」に変えるものでした。
従来の問題点:長時間の待ち時間 ⏰
一般的なレンタカーを那覇空港で借りる場合、空港での直接の受け渡しは禁止されているため、観光客はレンタカー会社の送迎バスに乗って指定の営業所や受け渡し場所へ移動します。そこから、手続きが始まり、時には車を受け取るまでに2時間以上もの時間を要することもあります。
中田さん自身も、福岡へ旅行に行った際、空港から比較的近い場所にあるレンタカー営業所まで行ったにもかかわらず、出発までに1時間半近くかかった経験があるといいます。
「もう子どもが不機嫌になるわけですよ。なんか暑いとか喉が渇いたとかなって」
この自身の不便な体験こそが、「待たなくていいレンタカー屋さんがあったらいいな」というアイデアの源泉となりました。
革新的なソリューション:ホテル配車サービス 🏨
ホワイトワンネットワークのサービスは、この煩わしいプロセスを劇的に改善します。
「予約が入るじゃないですか。予約が入ったら、その時点でもう決済がされるんですね。お支払いは完了して、で、その後にお客様の方に自動でメールが返されるんですけど、そのメールの中にリンクがあって、そこからどこに泊まるとか、何時に持ってきてほしいとかっていうのを入力できるんですね」
このシステムの画期的な点は、観光客が沖縄に到着したら、ホテルの送迎バスやモノレールなどを利用して、そのまま宿泊先へ直行できることです。そして、ホテルに到着する頃には、予約したレンタカーがすでに届けられており、チェックイン後すぐに利用できるという仕組みです。
事業拡大と「Win-Win」の連携戦略 🤝
最初、わずか1台からスタートした中田さんのレンタカー事業は、その画期的なサービスが評価され、順調に業績を伸ばしていきました。そして、事業が軌道に乗るにつれて、次に直面したのが人手不足という、多くの成長企業が共通して抱える課題でした。
運転代行業との画期的な連携 🏍️
人手不足を解消するためにひねり出したのが、ある業界の「隙間時間」をうまく活用するという画期的な方法でした。
「次は”レン配”と言って、レンタカーを拾ってホテルに運ぶという業務があるのでそれに行ってきます」
この言葉を発したのは、「運転請負のポケバイ」という運転代行サービス会社のスタッフです。糸満市を拠点に運転請負業を営むこの会社は、中田さんから依頼されたレンタカーの配車・回収業務を受託しています。
「私たちも業務の中で待機時間というのは必ず発生するので、その待機時間を使ってレンタカーを移動するという仕事ができるのは非常に効率的」
運転代行業は顧客を目的地に送り届けた後、次の依頼まで「待機時間」が発生します。このデッドタイムを有効活用し、レンタカーの「レン配」業務を行うことで、代行業者は新たな収益源を確保できるのです。
未来への視座:模倣を恐れず、業界全体を良くする「開かれた哲学」 🌟
現在、60台のレンタカーを保有する中田さんの当面の目標は、その数を100台まで増やすことだといいます。しかし、中田さんの視線は、単なる事業規模の拡大にとどまらず、その先にある沖縄のレンタカー業界全体の未来を見据えています。
今回の取材の中で、ある記者がこんな問いを投げかけました。「取材を受けることで、模倣する事業者も現れるのではないか?」。中田さんの答えは、驚くほどに前向きで、そして深い洞察に満ちたものでした。
「僕それ、いいことだと思うんですよ。もちろん真似されたらあまりいい気はしないですけど。だけど、それって逆をいったら、このアイデアいいじゃんって思ってくれたってことなので。それで良い変化が起きて、沖縄のレンタカー業界がちょっといい方向にいったらいいんじゃないかなと思いますね」
この言葉には、中田さんの「開かれた哲学」が凝縮されています。自社の利益だけでなく、業界全体の発展と、ひいては沖縄観光の質の向上に貢献したいという強い思いが込められています。
結びに:逆境を越える力と、新たな価値創造への希望 💪
結婚式場の閉館という、まさに人生のどん底ともいえる経験。そこから立ち上がり、全く異なる分野で新たな挑戦を始めた中田裕一郎さんの物語は、私たちに多くの示唆を与えてくれます。
中田さんの成功の秘訣は、単に「レンタカーを貸す」というビジネスモデルを超え、「観光客の不便を解消し、沖縄での移動体験をより快適にする」という本質的な価値を提供している点にあります。そして、その実現のために、既存の業界との連携や、効率的な業務委託といった柔軟な戦略を大胆に実行しています。
「サムシング・フォー西崎」で培った、お客様に寄り添う心、そして最高のサービスを提供しようとする情熱は、形を変え、今度は「沖縄県の小さなレンタカー屋さん」で、多くの観光客の笑顔を生み出しています。
この物語は、私たち一人ひとりが日々の生活や仕事の中で直面するであろう様々な困難に対して、どのように向き合い、乗り越えていくべきか、そして、いかにして新たな価値を創造していくべきかという問いに対する、一つの力強い答えを示しています。
中田裕一郎さんの、逆境をチャンスに変える力。それは、私たち自身の可能性を信じる希望の光でもあります。彼の次の「新発想」が、今から楽しみでなりません。